妊娠・出産の危機と家族・医療スタッフとの絆
- HEIWA SOTOMURA

- 8月13日
- 読了時間: 7分
更新日:10月15日
北海道大学病院(以下、北大病院)産科・周産母子センターの先生と同院で出産した方のお話をお届けします。
今回は、2022年に第二子の女の子を出産した荒井さん、産科病棟の高橋看護師、准教授の馬詰(うまづめ)先生の3名のお話しです。
二人目の妊娠で切迫子宮破裂のリスクに直面した荒井さんは、妊娠28週で北大病院に早期入院し、妊娠34週で急遽帝王切開と子宮摘出を受けました。その後、術後の回復に努めながら赤ちゃんや家族と再会し、無事に退院しました。この記事では、入院生活から出産、術後の回復まで、荒井さんが家族や医療スタッフとともに歩んだ道のりをお伝えします。

-本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、自己紹介からお願いいたします。
荒井さん:私は二人の子どもの母で、上の子は5歳、下の子は2歳です。上の子のときから不妊治療をしていて、二人目は難しいと言われていたのですが、北大病院の先生方に支えていただいて、無事妊娠することができました。ですが、妊娠28週のとき、早期入院することになりました。
-妊娠中の入院はどのように決まったのですか?
荒井さん:妊娠28週のときに「切迫子宮破裂のリスクが高い」と診断されて、すぐに入院することになったんです。先生から「最悪、母子ともに危ない可能性もある」と言われ、覚悟して入院しました。
高橋助産師:ご本人も強い不安を抱えていましたし、家族のことをとても気にされていました。特に上のお子さんと離れて過ごすことがつらいとおっしゃっていましたね。私たちは週1回の面談を通じて、荒井さんの状況や気持ちをチーム全体で共有していました。
荒井さん:入院中は毎日「早く家に帰りたい」と看護師さんや先生方に訴える日もありました。上の子のことがとても心配で…。毎日テレビ電話をして、泣いてしまうこともありました。高橋さんや看護師さんが顔を見に来てくださるたびに泣いてしまっていたので、心配をかけたなと思います。夫は仕事をしながら上の子の世話もしてくれていて、本当にありがたく、感謝しかありません。

-荒井さんと関わっていく中で、どんなことを考えたり、心配されたりしていましたか?
高橋助産師:経産婦さんだと、どんな病状の方であっても上の子と離れるのが寂しいものです。上の子を見てくれる家族がいる方もいれば、そうでない方もいますし、家族にとっても上の子にとってもお母さんの長期入院は大変です。お母さんはお腹の中の赤ちゃんのことだけでなく、家庭のことも心配しながら入院生活を送っています。早産になる可能性が高かったので、準備ができるよう支援することが必要だと思っていましたが、まずは荒井さんが入院生活を頑張れるよう、スタッフ皆で話し合い、関わりました。
荒井さん:孤独なときも寄り添ってくださり温かかったですし、本当に誰に見てもらっても情報が共有されている状況なので、特定の先生や看護師さんがいいということではなく、どなたに担当していただいても安心できました。皆さんの思いが伝わってきて、「絶対に頑張ろう」という気持ちになれました。

-出産はどのような経緯で予定より早まったのですか?
馬詰先生:血液検査で出血の危険性が急激に高まっていることがわかったので、荒井さんの命を助ける目的で早めに決まった感じです。
荒井さん:朝、お風呂から上がったところで看護師さんが準備をしていて。髪も乾かさないまま「動かないでください」と伝えられて。何が起きているのか分からないまま「これから出産になります」と言われました。
手術日まであと5日の予定でしたが、ストレッチャーで運ばれながら看護師さんに髪を乾かしてもらい、その時、家族にも連絡しました。手術室に行った記憶はあるんですが、次に覚えているのは産後、病棟へ運ばれるときに夫と娘の顔を見たかな?という感じです。
-出産時の手術はどのような状況だったのですか
馬詰先生:手術前の採血で、血液の凝固系の値が急に下がり始めていました。この数値の変化は大出血や母体の急変と関係しており、赤ちゃんにも影響が出る可能性があると判断しました。そのため急いで手術室の準備を行い、輸血用の血液も通常の何倍もの量を準備して、十分に出血に備えました。
手術には麻酔科を含め、15人ほどの医師が集まり、出産時に起こりうるさまざまなリスクに備えました。特に荒井さんの場合、前置胎盤があり、胎盤が子宮に一体化していて簡単には剥がせません。そのため、出血が始まった際には手探りでの操作や、回収した血液をろ過して再輸血するなど、緊迫した対応が必要でした。本当に大変な手術でしたが、多くのスタッフが全力でサポートしてくれました。
夜間の急変だと、日中の6割くらいしか安全確保できないんですよね。採血して「これはやばい」と即座に判断することはすごく大事だと思います。

-出産後の経過や体の状態はどのような感じでしたか?
馬詰先生:普通は帝王切開の後にこういうことは起こらないのですが、今回は手術後に腸が動かいない状態(イレウス)となり、鼻から胃の中に管をいれて、腸が動くのを待つ必要がありました。
荒井さん:とても苦しかったです。管を入れたままで、母乳も出さなければならず、貧血もひどく、痛みも強く、記憶がほとんど飛んでしまうくらいでした。赤ちゃんに会いに行くのも立って歩くことができず、自分の命の方が優先される状況でした。
高橋助産師:出産は34週で、赤ちゃんは未熟でしたが、まずは荒井さんの体調の回復を優先することになりました。荒井さんは手術後は痛みや消化器のトラブルで母乳もなかなか出ず、食事も十分に摂れない状態で、赤ちゃんに会いに行くこともすぐにはできませんでした。
とりあえず赤ちゃんに会いに行く!ということ目標にして少しずつ動けるようになり、赤ちゃんと向き合えるようになるまで、1週間ほどかかったと思います。
荒井さん:本当に大変でした。

-最初に赤ちゃんに会いに行ったときの様子はどうでしたか?
荒井さん:赤ちゃんに会えたのは3日か4日後くらいだったと思います。あれ?違う?
高橋助産師:多分、初日に「頑張って会いに行こう」となって、スタッフ2名くらいで5分くらいだけ一緒に行って戻ってきた感じです。そのとき、気持ち悪くなって吐いちゃって、「無理させちゃったかな」と少し反省しました。
荒井さん:保育器に入っていたので、思ったより小さくて衝撃でした。でも触れることはできて、その瞬間に「あ、もうだめだ、具合悪い」と思って、早々に退散して病室に戻りました。そこから数日間はほとんど動けない状態が続きました。
高橋助産師:本当に体力を振り絞って会いに行った感じですね。触れたりはしたけれど、その後体調が悪くなり、次に会えたのは3日後だったと思います。
-その後、どのくらい入院されていたんですか?
荒井さん:2、3週間くらいです。私の方が先に退院しました。その2、3週間は体力回復のための入院でしたが、膀胱に胎盤がくっついている可能性があったために尿管に入れた管の処置もあり、入院が少し延びました。退院したときは、上の子や夫のもとに戻れて、本当に嬉しかったです。赤ちゃんはNICUに入っていたため、そこから1か月半ほど入院していました。病院でしっかり守って育ててもらい、無事に家に迎えることができました。

-この二人目の出産はどんな思いでしたか。
荒井さん:産むことができて良かったなって。私も娘も何もなく普通に生活がおくれているし、娘も元気に大きくなってくれているので、それに尽きます。
私はもう赤ちゃんは産めないけど、これから出産控えてる人がいるなら、絶対北大がいいと思う!と言いたい気持ちです。産後だけでなく、妊婦健診の時から感じてました。一人ひとりが思いを持って接してくれるところが大きいです。贅沢な施設だなと思います。
高橋助産師:今お会いできて元気な姿とか見ると、あの時、荒井さんと一緒に頑張れてよかったなって思います。私たちに言いづらいこともあったかもしれませんが、素直にお話ししてくださったことで、私たちも情報を共有しやすく、先生方にも相談しやすかったです。荒井さんが私たちを信頼してくださっていることが、一番の支えになったのではないかと思います。
馬詰先生:よく医療者が患者さんをサポートするっていう風に言われるんだけど、実はこうやってぼくらも癒されているんですよね。その感じわかります?「ありがとうございます」って言われるの救われるよね。よかったです、本当に。元気な姿で、今日会えてすごくよかったです。
-貴重なお話をありがとうございました!


